映画「のみとり侍」公式サイト

原作「蚤とり侍」の映画化は
鶴橋監督の企画だとか?
小松重男さんの短編集「蚤とり侍」の初版が出たのは30年ほど前です。最初に読んだのは、直木賞候補になった「鰈の縁側」でした。江戸時代、小骨が沢山ある鰈の煮付けを将軍に出す時には必ず控えている、骨取り専門の〝骨とり侍〟が主人公の短編小説でした。小松さんは、江戸時代にこんな不思議な職業がと驚く題材を探し出し、沢山の小説を書かれていました。その小説の中では、主人公の武士たちが不測の事態に巻き込まれ、いきなり放り込まれた見知らぬ世界で右往左往しながら、人情深い町人たちに助けられ、どうやって生きたかということが様々な語り口で描かれていました。その中でも、特に〝猫の蚤とり〟という商売が印象的でした。密売夫にさせられた侍の話でした。僕が読売テレビにいた頃、この題材では無理だろうと分かっていながらも、芸術祭参加作品の企画として提出したりしてね。一顧だにされませんでしたけれど。僕の部屋にはいつか映像化したい原作が本棚に並んでいます。何度か引越しをしたり、古い本を整理しても、何故か「蚤とり侍」だけはいつまでも本棚に残っていたんです。『後妻業の女』の仕上げをしている時に、東宝の市川南さんが「次、何かやりたいもの、ありますか?」とおっしゃるのでこの原作のお話をしたら、「ちょっとやってみますか」ということになって・・・。
短編集の中でも、特に「蚤とり侍」
を柱にしたのはなぜですか?
いつも作品を創るときに、日常生活の中にある“怖さ”や“面白さ”といったものを、何とか映像で表現したいと思っています。前作『後妻業の女』(16)も、まさに高齢化社会の日常に潜む“怖さ”を、ブラックな笑いをまぶして“面白く”描いたものでした。今回は、現代に生きる人たちに、江戸時代の蚤とりを通して、めくるめくような風俗の世界に旅してもらおうと考えました。江戸中期の猫の蚤とり屋は、寂しい女たちのところへ行って心と体を温めてやる商売を堂々としている。この男たちを買う女たちには、後家さんや、参勤交代で主が国元に帰った武家の妻もいれば、鬱憤晴らしをしたい商家の女将もいる。しかし時には主人公の寛之進のように、抱いた女から“下手くそ”と言われることもある。男と女のそういうことって、昔も今も変わらないんだという不変の“面白さ”を楽しんで頂きたい、とこの「蚤とり侍」を作品の柱にしました。小松さんの短編集には、この猫の蚤とり以外にも様々ななりわいを持つ侍の話があり、その中から「唐傘一本」と「代金百枚」を選び、3つの小説を一つの脚本にまとめました。藩主から追い出されて蚤とりに身をやつした侍(「蚤とり侍」)、浮気が原因で傘一本で追い出された亭主(「唐傘一本」)、父親から譲り受けた刀を大事に守る、貧乏藩士(「代金百枚」)の三人が人情味溢れる江戸の町を縦横無尽に駆け抜けたら面白いだろうと。しかし、脚本にまとめる上で難しかったのは時代背景のすり合わせでした。原作では「蚤とり侍」の舞台は天明の頃で、宝永が舞台の「代金百枚」とは全く時代が違うので、老中・田沼意次が失脚する直前の“ひと夏の出来事”にしたんです。魔訶不思議な職業を探し出して小説にする小松さんには、普通の時代小説家とは別枠の何かを感じます。好色物というか哀しいまでの中間管理職の喜劇というか、猛毒を持つクラゲにからめとられた気分になるのです。残念なことに小松さんは昨年お亡くなりになったのですが、できれば直接お会いして、何故にこういう不思議な題材に惹かれたのか、その執着、執念みたいなものをお聞きしたかったです・・・。
脚本も監督自身で
書かれていますね?
脚本家に頼みにくい題材だったからです。春画や風俗画、錦絵などを見ても、どこにも〝猫の蚤とり〟のことなんて出てこない。“蚤とり業”という職業が歴史上にあったとしても、どんな恰好をしていたのか、具体的なことは分からないんです。だとすれば室町時代のバサラとか、歌舞伎役者の真似をしていたのか。あるいは幡随院長兵衛のような町奴みたいな恰好をしていたのかを、僕らスタッフで創造していくしかない。では、蚤とり屋の寛之進は、どんな着物を着ていたのか?結局、手塚治虫さんの描いた『猫・写楽』に行きついて……。鼻に止まった蚤を睨む猫の耳をつけた侍が舞台の垂れ幕のような着物を着ている。浮世絵師・写楽のパロディーで、僕が持っていた浮世絵の着流しの男とイメージがぴったり合ったんです。それをヒントに阿部寛さんの派手な着物のイメージを衣装部が作り出してくれました。次に、寛之進は藩邸を追い出されたら、どこに住むんだろう?と。とにかく江戸の町は火事が多かったらしい。当時の庶民の家は木と紙で出来ていますから、火事になったらすぐに燃えてしまう。その頃の消火活動と言えば火を消すのではなく、それ以上燃え広がらないように隣の家をどんどん壊していくわけです。火事になったら一瞬で財産のすべてを失う危険性がある商人は自分の家の蔵の他に、火事の時に逃げる〝火除け地〟に別の蔵を建てておいた。じゃあ、寛之進と友之介は、その火除け地の蔵を借りて住んでいることにしようと決めます。……こういう時代設定を一つ一つ脚本家に説明しながら書いてもらうのは大変だし、時間もかかるので今回は自分で書くことにしたのです。
監督ご自身で脚本を書かれると、
どのように撮るかを想定しながら
本を書いたりできますね?
それはありますよね。この場面は阿部寛さんのために、この場面は寺島しのぶさんのために、と書くことができますし、お二人がどう演じるのかを想像しながら書き進めるのは非常に楽しい作業です。僕が脚本を書く時は、俳優さんたちを思いながらの当て書きです。友之介の斎藤工さんに関しては“友之介は低音で声がいい”と、脚本にちゃんと書いてあります。彼との仕事は初めてでしたけれど、髪の長いハーバード大出の秀才のような斎藤さんに、素浪人の苦い青春を自由にやって貰いました。清兵衛の豊川悦司さんは、『愛の流刑地』や『後妻業の女』にも出てもらい、何も言わなくてもわかってくれます。脚本に大体のことを書いておけば、彼の方がよっぽど感情豊かに演じてくれるんです。清兵衛に関しては“歌舞伎の色悪風の男”と書いておいたんですけれど、豊川さんは“これで大体いけそうな気がする”と。脚本で俳優さんたちにヒントを与えれば、後は彼らがうまくやってくれます。
猫の蚤とり屋・甚兵衛夫婦を演じ
ている風間杜夫さんと大竹しのぶ
さんが、絶妙のコンビネーション
で笑わせますね?
風間杜夫さんと大竹しのぶさんは、僕が30代のときから一緒に仕事をしていますから、もう40年近い付き合いです。最初、甚兵衛夫婦の店はまるで流行っていない、小さな貧乏な構えの質屋のような雰囲気だと思っていました。甚兵衛夫婦は実は吝嗇で、寛之進が着る着物や髪結い代に、遠慮のない手数料を取っている……。風間さんと大竹さんをイメージして書くと、この作品のような純でイナセな人情家の江戸っ子の親分夫婦になってしまう・・・。なにしろ僕は座付き監督ですから。
主演の阿部寛さんとは、
テレビドラマ「天国と地獄」(07)
などでは仕事をしていますが
映画では初めてですね?
寛之進役は、始めから阿部さんしかいないと思っていました。阿部さんとは、彼がデビューする直前に彼の事務所で会っているんです。その時に、「監督の大学の後輩です。僕は理工学部ですけど。」と言われたのを覚えています。僕は法学部で文系、彼は理系だという。只者じゃないと思ったのが第一印象でした。その後テレビドラマの「院内感染」で弁護士、「天国と地獄」では刑事をやってもらったんですが、今度は映画です。本当に嬉しいです。それで阿部さんをじっくり見ていますとね。生真面目で理系特有の理論で物事を考えるタイプかと思いきや、一緒にいればいるほど実に融通無碍でチャーミングな俳優なんですね。
それはどんな時に
感じたんですか?
いつもキャパシティが大きいというか、まだまだ余力があると感じさせるんです。例えば、清兵衛の情事を覗き見しながら、女性の喜ばせ方を学ぶシーンがあります。阿部さんの覗く演じ方は様々で、見たこともないものを見ていた驚き、えも言われない淫靡な空間にいる恥ずかしさという風に、いろんな驚き方ができる。それが顔の表情だけではなく、足のつま先まで変化しているのです。また彼が持っている心根の優しさや真面目さがそうさせると思うんですけれど、常に一所懸命なんです。豊川さんの清兵衛と鰻屋で会話するところなんか、僕は撮影しながら二人の芝居に笑い転げていましたから。一人が何かやるともう一人が反応して、互いに邪魔しないようにして自分の芝居をするんです。それを見ていると阿部さんも豊川さんも少年らしさを少しも失っていない感じがして・・・。そこが好きですね。
阿部さんとは、撮影中に演技や
キャラクターについて
何か話し合われましたか?
様々なエピソードがありますけれど、忘れられないのは寛之進が鋸引きの刑にされて川沿いに晒されるシーンを撮影した近江八幡ですね。クライマックスに繋がる大事なシーンで、この晒し場から寛之進は、長岡藩の江戸屋敷に連れ戻されます。そして屋敷の庭で殿様と対決することになるのです。撮影の合間に、準備で待ち時間が出来、阿部さんとベンチに並んで座っていたんです。阿部さんは、このシーンの後、松重豊さん演じる殿様と対決するシーンのセリフのトーンについて話しだした。寛之進は殿様の命令で“猫の蚤とり屋”になった。彼が脱藩もせず、切腹もしなかったのは、殿様に対して親愛の情をいっぱい持っていたからで、正邪でいうと正の部分、つまりイノセンスを寛之進は持っている。そのイノセンスの一方で、彼は寺島しのぶさん扮する田沼意次の愛妾や甚兵衛夫婦、江戸の町人たちと触れ合うことで、それまで知らなかった人として大事なものを彼らから受け取った。殿様を想いながらも、武士という身分のお前たちは、そんな町人たちのことを何一つ知らないだろうと、思いのたけを真っ直ぐに殿様にぶつけたくもある。だから阿部さんは、ラストシーンで一気呵成、怒濤のようにセリフ回しをしたいと言うのです。だから晒し場から長岡藩士たちに連れていかれる時から毅然としていたい、と。僕は同意です。その通りです。長岡藩士たちが晒し場に迎えに来たということは、切腹か打首だと寛之進は覚悟するしかない。そして、阿部さんと僕はここまでの芝居を頭から順番に振り返ってみます。藩邸から追い出された冒頭では、まるで童貞の男みたいだった。それが女から〝下手くそ〟と言われて、驚いた寛之進の目がひっくり返る。「阿部さんの目には寒暖の差があることが分かった。ひっくり返るのにも寒い目のひっくり返り方と温かい目のひっくり返り方があるんだね」って。「ここからはもう一度武士に戻った寛之進をやってみよう」と。そこまで話したところで撮影の再開です。連れていかれる寛之進に、大竹しのぶさん演じるお鈴が“寛之進様!”と呼びかけると、寛之進が“心配するな。この者たちは拙者が仕えておった長岡藩の使いの者だ”と応えて去るところだったんですが、休憩前にリハーサルした時は、阿部さんは普通にそのセリフを絶望的に言っている感じだったんですが、その20分の会話をした後は、すっと背筋を伸ばして本当に武士らしく毅然と演じてくれました。江戸屋敷の庭での殿様との対決シーンでは、本当に一気呵成でしたね。こちらのちょっとしたヒントでも一気に様相が変わる。伸び代が凄い。こっちが言わなかったら、自分で一所懸命考えてくる。本当に芝居熱心なんです。だから彼の台本には、覚書がいっぱい書き込まれていました。
またこの映画では主に寛之進の
心の声が、本人のナレーション
として語られていくのが
面白いですね?
今回はナレーションを入れることによって、エロティックなシーンでも生々しさを避け、茶化して笑わせながら、一点突破しようと思ったわけです。でもこのナレーションのセリフが難しい。例えば清兵衛を覗き見る寛之進のモノローグとして、〝こんな方式もあったのか〟と脚本に書くと、時代考証の先生が〝江戸時代に方式という言葉はありません〟と指摘を受ける。できるだけ昔の言葉に直すんですけれど、この映画が少子高齢化社会の高齢者への風俗の招待状だとすると、あまり昔の言葉でいくと臨場感が出ないですしね。そこはある部分では目をつぶってもらいました。
そのナレーションの驚きの部分
も含めて阿部さんの真っ直ぐな
感じが、寛之進と一体になって
いますね。そういう意味でも
出演者のアンサンブルが見事で
した。監督としてはこれが
初めての江戸時代を舞台にした
時代劇映画でしたね?
何しろ僕は5歳のときから嵐寛寿郎さんの『鞍馬天狗』で育ち、中学生で『七人の侍』(54)ですから、昔から時代劇は好きでした。小説も山本周五郎さんから青山文平さんまで大好きです。時代劇を作ってきた映画の方には熱烈な敬意がある。テレビでは一度だけ、大原麗子さんと三國連太郎さんの「五瓣の椿」(81)をやったことがありました。その時に“ああ、僕は時代劇が好きなんだ”と再確認しましたが、テレビだと時代劇は制作費がかかるので、なかなか作る機会が巡ってきません。そんな時に、時代小説の異端者である小松重男さんの作品に出会った。社会の最下層に生きる人間や、普通ではない職業に就いている人間に光を当て、しかも男の情けなさ、みじめさを描き出している。日常派の僕としては、そこにシンパシーを覚えました。だから正統派の時代劇を作っている方たちには失礼かなと思いつつも、この路線で時代劇の金メダルを獲りたいなって思います。「目指す頂上は見えた気がするんだけれど、登り方がまだ分からない」とピョンチャン・オリンピックのスキーの選手が言ってました。別の選手が“新たなことを始めるのに、遅すぎるという歳はない”とも言っていたので、僕もここから自分なりの頂上を目指したいと思っているんですよ。
『のみとり侍』が、
観客にどのように伝わって
ほしいと思っていますか?
『のみとり侍』は、面白いことはないかと探した結果のエピソード集です。“猫の蚤とり”という変わった商売をする男たちがいた。その男たちを買う、寂しさを抱えた女たちがいた。あるいは清兵衛のように、武士の家に生まれながら“へそ者”と軽んじられ、婿に出された男がいた。しかしそんな蚤とりとへそ者が出会い、終生の友情が芽生えていく。そのまた一方で、友之介という、若くて優秀な男が腹が減り過ぎて、猫に噛まれて死にかけたりする。更には甚兵衛夫婦という、おっちょこちょいだけど情の厚い人たちに出会い、寛之進は人との触れ合いの大切さを知る。よく“作品の見どころはどこですか?”と聞かれますけれど、僕の場合はラストシーンにたどり着くまでの過程が大事だったりします。こういったエピソードを面白く綴って、江戸中期の世界へ観客の皆さんをお誘いしたい。ラストまでの過程を、音楽を聴くように、それぞれが自由に感じて、味わって頂ければと思います。
撮影:2017年8月30日(水)~10月18日(水)
東映京都撮影所 他全編京都ロケ